重い沈黙がよどんでいた
いつの間にか人波が途切れ
二人をつつむ 北嵯峨の夜に静寂が戻った
広沢池に隣接する児神社を出て
千代の古道の石碑から入り込んだ田んぼ道には
虫の音だけが拡がっていた
              その日 五山送り火の最後に点る曼陀羅山の麓は
              ゆかた姿の娘達や 近所の家族連れ
              他府県ナンバーの車で乗りつけたグループ達の
              静かな賑わいで 満たされていた
              点火と共に湧きおこる低いどよめき
              火の粉を巻き上げて 燃えさかる鳥居形
              そして いくらかの寂しさと空しさを残して消えていく
              夏の夜の夢の はかなさ もの悲しさ…
二人にとっては 何もかも承知の上の別れではあったが
互いの心中を思えば
嵐の前の静けさのように 出番の前のおののきのように
言いようのない不安をはらんだ夜であった
                   からめた指に力が走り
                   彼は 彼女を引き寄せた
                   長い 長い 口接けだった

                      
                      無言でくわえた 苦い煙草
                      誕生日にもらった ライターの火に
                      彼女の 涙が きらめいた
                      それが さよならの 合図でもあったのか 
                      小走りに遠ざかる背中に
                      彼の呼び声が つきささる
かんにんエ! かんにんしてナ!


    年こそ 離れていても 私はあなたの女でいたかった
    あなたの妻になりたかった
    でも 私にとっては今度の話が最後のチャンス
    しっかり勉強してね! 楽しく青春してね!
    ききわけのない子供のように
    好きだ 好きだ と泣いてくれたことも
    知ったかぶりで教えてくれた政治や経済のお話も
    千代に 八千代に 苔むすまで
    混じり気のない あなたのことは 私の一生の思い出に
    ひときわ 眩しく輝き続けることでしょう


 送り火と共に消えていく 嵯峨野の恋もあることを
 知るや 知らずや夜は更けて 一人その場に立ちつくす
 にぎりこぶしの シルエット…
表紙