愛宕古道街道灯し -1-
(あたごふるみちかいどうとぼし)
2005年8月23日・24日
表紙
奥嵯峨・化野で始まった念仏寺の夜間照明も、道端に行燈を並べる
街道灯しも今では市内中央部から東山山麓に移り、京都観光の
シンボル的イベントになってしまっている様子は、老舗の嵯峨祭が
新興の祇園祭にお株を奪われてしまった事例にとてもよく似ていて
ある種の感慨を覚えたりします。
関西人としては東京に、京都人としては大阪に、嵯峨人としては東山に
対抗意識がある故なのでしょうか、私達が始めた街道灯しを
私達の何倍も盛大にやってのける東の連中に対してヤキモチ半分で
羨ましく思うのですが、反面では観光化を目指しながら果たせなかった
結果としての地域性や精神性に“これでよかったのだ”と思わない
わけでもありません。
南は渡月橋から北東には金閣寺、出来ることなら愛宕山頂の
愛宕神社まで灯の鎖をつなげたいと願った私の白昼夢は
ほら吹きオヤジのたわごとのままに雲散霧消してしまいました。
でも、それでよかったのだと思います。チョットわびしくチョット賑やかな
私達の街道灯しには、古き良き“京都の田舎”の趣があります。
脳細胞にではなく内臓や骨にまで嵯峨が染み込んだ
ホントの嵯峨人達の匂いがします。
実は相も変わらず嵯峨芸術大学の先生や学生さん達に頼りきり
瀬戸内寂聴さんのお力を借り、今年はさだまさしさんにまで
お顔を見せていただいたおんぶにだっこの行事ですが忘れずにいて
いただけたら、来年は是非お立寄り下さって、何もないまゆ村で
何もない嵯峨の、何もない“街道灯し”をご覧になって下さい。
平安朝以来の愛宕おろしの風と、小倉山・曼陀羅山のあふれんばかりの
緑だけは、まちがいなく心を開いてあなたをお待ちしていますから・・・。
まゆ村村長 敬白
*上の4枚の写真はkamさんのご提供。
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* 村長の文章は血が通っていて分かり易く
街道灯しの雰囲気をよく伝えていると思いますが
「老舗の嵯峨祭が新興の祇園祭に・・・」云々は
ちょっと言い過ぎというか、いつもの勇み足のような
気が、私には致します(^_^;)

                  こ(まゆ村HP担当)
街道灯し「本ページ」(2003年
作成分)もご覧下さい。